流祖 林崎甚助源重信公

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大永七年(1527年)最上家一族の「最上因幡守満英」
楯岡城主、六代目の家督を相続する。
天文七年(1538年)浅野数馬源重治(京で尉北面の衛士
(武士)であった)、楯岡城主、六代城主
「最上因幡守満英」に仕官す。
天文九年(1540年)浅野数馬源重治、楯岡在の高木某の
娘菅野(志我井)と結婚す。
天文十六年(1547年)父、浅野数馬源重治は、熊野明神
(通称・林崎明神)の祀官の許へ碁を囲みに行き、
夜更けて帰る処を 如何なる理由で恨みをかったのか、坂上主膳
(坂上一雲斎)に闇討ちにて暗殺された。

(暗殺原因は判明せず) 爾来、数馬の一子「浅野民治丸」(林崎甚助源重信公)
と母・菅野(志我井)の仇討ちの苦難の道が始まった。
天文二十三年(1554年)浅野民治丸十二歳の時、
仇討ちの為剣法の上達を林崎の祖神「熊野明神」
(通称・林崎明神)に祈願参籠し修行に励む。
永禄四年(1561年)重信、京で宿敵、坂上主膳
(坂上一雲斎)を討ち果たし 見事本懐を遂げた。
(重信公19歳)
京で仇討ちを果たし直ちに帰郷。祖神「熊野明神」
(通称・林崎明神)に 礼賛報告し「信國」の刀を奉納す。