尾張至誠館の歩み
□尾張至誠館の歩み□
平成16年公民館を唯一人で借りて独立し尾張至誠館は始まった
その折、管理人に「せめて5人はいないと」と言われ悔しく情けない気持ちを忘れまいと胸に刻んだ
その言葉が未だに忘れられない
顧問には恩師であり当時は若先生と呼んでいた正統第二十三代宗家福井正孝將人先生にお願いした
道場名は第二十一代福井虎雄聖山宗家の扁額『至誠』より福井宗家に命名して頂いた由緒ある道場名である
至誠館が他にある為、先祖の尾張藩士から尾張を頂き『尾張至誠館』とした
先祖が侍の為に私が居合を始めた事を父が喜んでくれた事が意外でもあり嬉しかった
先祖は270石取りと聞いている
入門は林道場 館長 林明治郎先生
師範は上川和夫先生(現在は神聖館館長)兎に角毎日、林道場に通った
仕事で23時になっても24時迄林明治郎
先生に毎日必ず御指導頂いた
上川和夫先生には毎日曜日に御指導頂き
着装等イロハのイの字から御指導頂いた
真冬の夜中の2時過ぎ迄御指導頂き上川先生と道場に布団を林明治郎先生に敷いて頂き二人並んで寝て10分か15分でストーブの灯油が切れて寒くて寝れなかったのを覚えています
林明治郎先生と上川先生には感謝しても仕切れません
昇段審査会で正統第二十一代宗家福井聖山先生から「君、家に来んかね」とお誘い頂き宗家道場たる正統根元道場への入門となった
林明治郎先生には心良くご了承頂け感謝しております
又、朝4時半に起床し道場迄歩き室温2度の道場で5時半から7時迄稽古して出勤の為駅に向かう日々もありました
又、電気も無く懐中電灯で道場の鏡にライトを反射させて一人稽古も致しました
いろんな事があった居合人生でした
大会で当時は若先生であった現在の二十三代宗家福井正孝將人先生の技に憧れてあんな先生に習いたいと思っていました
宗家道場での初めての稽古時に若先生と二十一代宗家が道場に見えて「君は若の内弟子になって貰う、儂がここの館長だから大会前には見て上げるから」と言われました。何年経っても鮮明に覚えています。
若い憧れの先生に御指導頂ける事になり嬉しかったのも鮮明に覚えています
若先生こと福井正孝先生がお仕事で御多忙になりその間を名剣居合道場初代館長加藤文雄先生の預り弟子となり丸8年9ヶ月間他の方の2倍通い御指導頂きました
特に重視されたのが斬りと足裁きでした
若先生が復帰されるのに伴い私も若先生の元に復帰出来ました
加藤文雄先生にはマンツーマンで叱咤激励されながら熱血指導して頂きました
又、第六代全日本居合道連盟会長にして無双直伝英信流正統第二十一代宗家福井虎雄聖山先生の御逝去前に御見舞に伺ったおり御宗家から「加藤さん、若を頼むよ」と言われ恐れ多く大変恐縮しましたが将来は若先生のお役に立てれる様になろうと決意した瞬間でした
以後、人格も技も最も尊敬してやまない若先生こと現在の全日本居合道連盟会長 中部地区居合道連盟会長 無双直伝英信流正統第二十三代宗家福井正孝將人先生の御指導の薫陶を頂いております
退職後、福井御宗家の事務作業の御負担を少しでも軽減出来たらとの一途な心情で御宗家と二人で事務作業をさせて頂いております
私が準範士になった記念に5月五日の全国大会迄帯刀されてみえた御宗家の前差しを令和元年五月三十一日宗家道場で自ら允可状を読み上げて頂きその場で前差しの謂れもお聞かせ頂き拝領致しました
御宗家のご実父である二十一代宗家が宗家紹統記念に御自身の為に作刀依頼された、為打ちの前差
裏銘「為 護身 無双直伝英信流二十一代宗家福井虎雄」二十三代宗家が準範士に成られた記念に二十一代から拝領された前差しを私が準範士に成った記念に恩師の二十三代福井宗家から拝領致しました
目貫と小柄に金象嵌の虎(二十一代が虎雄だから) 又、鞘には福井宗家の宗家紋たる剣かたばみの金の家紋が表に三つ裏に一つ入っています
二十一代宗家が持って見えた二振りの前差しの内の一振りを私が頂きもう一振りを御宗家が新たに使用されるとの事です
私が家の家宝になりました
身に余る光栄です
他の方より深く拘わらせて頂き感謝の何物でも有りません
これからはもっと頑張ってお役に立ちたいと思っております
御宗家の益々の御健勝と御活躍を願ってやみません
尾張至誠館 館長 加藤圭三